風の時代、地の時代と耳にする様になってから、だいぶたちましたね。
ちょうど私は3,4年前ぐらいに違和感が凄くあった時がありました。
私の中ではこの時に今の「風の時代、地の時代」の境目にいたんじゃないかなぁと思う事がありました。
それまでの私はどちらかと言うと「お金がないと生活できないから働く事が大切!」と思っていました。
お仕事のお相手もお金、地位、名誉が大切な方でした。
本当に突然の出来事でした。
地位、名誉、お金って大切?
当時の私はお金も地位も名誉も大切だと理解していたし、そうだと思っていました。
正義、正解だと思っていました。
それが突然。
「この人、なんでこんなに固執してるんだろう??」
いや、昨日までは私もそうだったし理解は出来るけど、でもでもでも。
ん-ーーーーーってなってたんです。
違和感しかない会話。
納得いかない話。
そしてなぜ変わってしまったのかという気持ち。
「これをするとお金になるよね。これをすると地位に繋がるよね。」
うん、わかる、理解は出来る。
「こうなると自分たちが上にいけるよね」
うん、そうね、それはそう。
「将来的に考えたら、これすると資産になるよね」
うーーーん、そうね・・・。
もっと広く捉えられないのかな
その当時、私はかなり発達障がいの子供やお母さんに対して支援をしていました。
無料のカウンセリングも沢山してたし、ニュースを追いかけたりしてましたね。
でも、突然。
なんで同じ人間なのに分けるんだろう?
なんで困っているという事は事実なのに論争するんだろう。
地球からみたら人間だって生き物の1つなのに偉そうに世界を動かせると思っているんだろう。
逆もしかり。
なんで私は弱いから支援して欲しいと言うんだろう。
なんで障害があるから優しくしてほしいというんだろう。
なぜ障害がかわいそうといわれるんだろう。
私が6年ぐらい前に思った事です。
発達障がいグレーの子供を育てて、頑張っているんです!
先生に対して「この子はこれが弱くて」と伝えていて、子供の為と思っていたけど自分の事を良く見せたかったし、弱い立場のお母さんと思ってほしかったんだと思います。
弱い立場だから、他の子より目をかけてほしいと言うお願いだったからです。
それが「もっと広く捉えられないのかなぁ」となった訳です。
確かに困りごとが多い子供かもしれない。
でも成長はゆっくりでもするし、本人が困っているのだったら支援は必要だけれど、こちらが小石を拾って回る訳にはいかない。
他の子だって言えないだけで困っているかもしれない。
私の子供=周りの子と同じ
特別に支援が必要な子供ではなくても、困っているのであれば誰でも助ければいいじゃん。
この考えに変わった時に、自分や周りが、ただ悪いとか良いとか決めてただけだなぁと思った出来事がちょうど起こりました。
助けるって何だろう
まだ子供が5歳になったばかりの頃、車椅子の方が転んでおられた時すぐに手を貸しに行きました。
周りの大人が「あら、いい子ね!見てわかるのね。優しいわね。」と私に声をかけて来て下さいました。
ほら、違和感
じゃあ他の人が転んだとして声をかけたら、余計なお世話になるの?
見てわかるってなんだろう。
いい子ってなに?助けたから?
そもそも助けるって何?
にこにことした子供が戻ってきたので聞きました。
そこには障害がある、ない
周りの意見が正しい、間違っている
正義、悪
そういう事がなくて子供には「自分がどうしたいか」だけがそこにあったんです。
元々、私は席を譲るとか、困っていそうだったら声をかけるとかはやっていましたが、そのたびに周りの方の視線を感じていました。
当事者の方には「ありがとうございました」と言っていただく事は多かったですが、別に私がやりたかっただけなので、それで良かったんです。
自己満足の世界ですけどね(笑)
でも自分がしたい事を相手に押し付けるのはエゴなので、今は「お手伝いできることありますか?」って聞くようにしてます。
違う出来事で言うと、電車の音が苦手だった子供が怖くて泣いてしまった時、サラリーマンの方が舌打ちをしました。
泣くたびに電車を降りて、各駅で降りている時がありました。
周りに迷惑をかけている。
肩身が狭いと思ったからです。
今は電車で泣いている子供を見かけたら、指人形を出したりして遊んでいます。
それは私が過去に嫌な想いをしたから。
でも、もしかしたらお相手は嫌な想いをしているかもしれない。
だって私とその人は違うから。
だけど、それでもやってみて迷惑そうだなと感じたらやめればいいや。と割り切る様になりました。
私がそうしたいから。
助けるって私はおこがましいと思っていて、私がやりたいからやるだけで、それって助けたい気持ちではないからです。
風の時代、地の時代
これについては、私はそれぞれの役割があるだけだと思っていて、そこに居たい人は居たらいいし、その地の時代の人たちがいたから文明や発明が進んでいる。
破壊してきたという見方もあるけれど、そうやって過去の方々は生きてきたんだから、それを否定する権利は私にはないと思っています。
これから自分がどう生きたいか。
それだけだと思うのです。
善悪、凄い凄くない、能力ありなし。
それは関係なくて「人間」として、どう生きていきたいか、どんな自分で居たいか。
そこに周りの目や賞賛は関係なくて。
認められたいとかの承認欲求を捨てる事から始めると、もう少し自分らしく軽やかに生きられるのかなと思っています。